ぼくらの世代でも、大学の実習やデッサン予備校でもかなりテーマとして出題されたなぁと思い出す。どちらかというと最近は日本の古い美術とか、骨董の方に興味が向いていたのでシュールという言葉はある意味新鮮に感じる。
友人が、つげ義春の自薦集なるものをSNSでUPしていたものをパッとみてフラッシュバックのような感覚になり、ねじ式、寺山修司、サルバドールダリ、マグリットなどの作品が芋づる式に思い出された。
シュールレアリスムって、とにかく小難しいイメージが先行していて、ヨーロッパでは超現実主義とか無意識の探求とか言われていて、日本人の解釈とずれている感じがする。
日本では、奇想で奇抜で幻想的な芸術であれば、シュールレアリスムだ。。。というイメージで広まってしまった感がある。
奇想や奇抜であればあるほど作品に整合性、理性が失われてしまうと思うので、無意識の探求という意味ではどんどんシュールから離れるものだと思いたい。
例えば作為性が無くなれば無くなるほど、無意識に人はそれを自然に近いモノ(神がかっている)と認識するのではないか。。(頭がこんがらがってきた。。)
それから、観る側からしても五感、もしくは六感を刺激されるものがシュールレアリスムとして素晴らしいのではないのか、とも思う。
マグリットの作品を見ると、何故か分からないけど懐かしくなる。ダリの作品を見ると
頭の中が痒くなる。黒沢明の夢という映画を見ると、鳥肌が立つ。
アンダルシアの犬を見ると逃げ出したくなる。
寺山修司の田園に死すを見ると、センチメンタルになる、など人の心に何かしら作用
するものは、やっぱりシュールとしても作品としても素晴らしなと思う。
学生の時に、シュールがテーマで線路を歩く女性の肩からコケシがたくさん生えた
絵を染めた事があった。先生達から不評の嵐だったなぁ。。
下の作品はルネ・マグリットの好きな作品。
その上の作品は、今年は寂しかった祇園祭りという事でちょっとシュールな山鉾巡行。
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