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執筆者の写真TAKUROZOME

宗達とDjangoほぼ同一人物説 其の弐

このシリーズまたやるんかと思う人いらっしゃったらすみません。個人的に大好きで

もうちょっと続けたいと思っています。そもそも読んでくれる方も少数だとは思いますが。。

宗達って実は琳派の画家の中ではあまり人気無かったんですよね。。その後の光琳が大人気

だったんです。で、案の定作品が海外に流れてしまった。。そりゃ、Djangoとほぼ

同一人物なのであるから、西洋人、欧米人の感性とマッチして、さぞ宗達の絵を見てびっくり、または感動したと思うのです。

宗達の絵はパッと見て正直,一般的には理解できなかったのではないかと思うのです。

理由は、構図が大胆でありながら、完璧に均整がにとれているから。。

本阿弥光悦はそれを見抜いたからこそ、前回の和歌巻の下絵を宗達に任せたのかな、

なんて思ったりもする。で、その海外に流れた作品、多々ありますが、代表的な作品を

一つ紹介したい。ワシントンD.Cにあるフーリア美術館所蔵(シャレオツな名前だなぁ)

その名も「松島図屏風」。。

この作品はテーマが日本のどこかの海岸沿いの荒磯の松山なのであるが、

これは僕は、長崎であって欲しいと思う。いや、NAGASAKI♪というべきか。

この波のスイング感と右曲の端正な松山、左曲の松の木のリズミカルなダンス、

お茶目な無造作な岩山。これはもうDjangoの1949年バージョンのnagasakiだろう

と。。(まぁほぼ同一人物なのだから当たり前なんだが)

一つの主題の中で、装飾を何パターンも表現していて、尚且つ早いテンポで、時に

荒磯っぽく、渡り鳥の羽ばたく羽のリズムのようなやさしい音。色んなタッチで

感情豊かに弾いている。。こういうのドストライクで好きなんですよね。

残念ながら宗達が長崎に行って絵を描いたという史実は無いのだが、是非お忍びで

行っていて欲しい。。ジャンゴ然り。。



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